詩における実在論と観念論/葉leaf
 
現するとき、そこには必ず観念が混じるし、逆に、観念だけで詩を書くことなどまず不可能で、そこには実在的な体験などが如実に反映してくる。言葉には内包と外延があるとよく言われ、外延とは言葉の指し示す実在の対象、内包とは言葉が実在の対象を指し示さなくても持つ意味のことをいうが、言葉というものはそもそも実在も観念も両方収容してしまう容器なのである。
 だから、実際に存在するのは、世界に根差した実在論、個人に根差した観念論、社会に根差した言語論、この三つ巴の構図であると思われる。もちろん、実在と観念と言語は相互に牽制し合いながら浸透し合い、実在と観念と言語のどこに重きを置くかによって詩の印象は変わって来るで
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