詩における実在論と観念論/葉leaf
 
のではなく、重要な第三項目が隠されていないだろうか。それは言語である。詩における言語論というものも重要なはずである。詩における言語論は、言語の文法や体系が、そもそも実在や観念に先立つと考える。そして、言語は何を表現するにあたっても入れ物となるものであるから、その構造に表現は支配され、詩によくある言語のコードを破ることによる面白さも、言語のコードが堅実に存在するからこそ生じると考える。
 実在論と観念論は対立しているようで対立していない。第三項として言語が介入してくる場合、言語の次元においてもはやその表現された対象が存在するかどうかなど重要な問題ではなくなってくる。実際、実在するものを言語で表現す
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