恋愛詩の在り方/葉leaf
 
れを「自己と他者」という哲学的な図式にはめ込み、様々な修辞を施して行けばそこに現れるのはもはや恋愛ではなくなってしまう。
 それだけではない。恋愛の発語は往々にして隙がなく自己完結的である。誰かを愛しているとか僕らは愛し合っているとか、そこできれいに完結してしまい、読者の入り込む余地がないのである。読者としては、勝手に悦に浸っていろ、くらいの感慨しか持たないのである。詩には読者が入り込むための何らかの亀裂が必要であり、恋愛詩にはその亀裂を入れにくいのである。
 これは恋愛の独特の性質によると思う。恋愛は盲目的で、エゴイスティックで、閉鎖的である。片思いにしろ、愛している自分に酔っている書き手は
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