Miz 4/深水遊脚
 
より人間を守ることになる。そして守る主体はどちらかといえば国家だ。行動する理由があるとすれば、人間観の食い違い、あるいは人間への探究かもしれない。国家や社会が漠然とそうだとする人間観が、ある生き方を排除する方向にその力を発揮してきたら、排除される人間を守る必要は生じるかもしれない。それは戦いなのだ。比喩ではなく。

 戦いはもう比喩ではなくなった。もともと比喩ではないのだ。戦争は常に世界中のどこかで起こっていて、よその国のそれを、よそ者がおかしな理由でおかしな争いをしているくらいにしか見ていなかっただけなのだ。私たちは自分達の通う学校やオフィスに似た、清潔で退屈で当たり前のものとしてそこにある
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