Miz 4/深水遊脚
 
ある建物が目の前で、あるいはモニターの向こうでぶっ壊されたり崩れ落ちたりして初めてそれに気付く。そしてもはや戦争は現実だとか戦争を語る言葉に新たなリアリティが必要だとか、起き抜けの戯言をそれなりのポジションにいる文化人やマスコミが浮き足立って口にする。それらも傍観者。そしてそんな空論をくさす私も傍観者。正義について考えるとき、傍観者ほどいやな立場もなく、それを正当化してしまう自分自身に気がつかないでいたことも嫌だった。嫌だけどこれは現実。しかも批判されるべきは他ならぬ自分自身。逃げ場がなかった。

 やはり人間観を考えないことには空回りしてしまう。これまで避けてきたけれど、考えてみることにした
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