記憶を宿すこと/深水遊脚
 
加して情報交換したり。最終的には作家の価値観、作家がなにを伝えたいかが核心になるけれど、それを読者と共有するために品質を高める活動がきっと必要になる。

 私的な会話や文章のやりとりに、仕事で求められるそうした活動が欠けていても大丈夫だろうか。たぶん表立っては誰も咎めない。それに誰でも少しずつできていないところは持っているのだから、欠けている部分を大目にみる心はある。欠けている部分が許せない人は離れて行き、欠けていても受け取るものの方が大きいとお互いに感じたなら関わりあって行くことになる。でも欠けていることで何が起きるか想像することはとても大切なことだと思う。

 私の書くものに〆切はない
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