記憶を宿すこと/深水遊脚
ない。だからといっていい加減に書いているつもりもないのだけれど、どこかで書き手としての私がアマチュアであることを読者が理解することを当然のように求めている。言葉を受けとる人に宿っている記憶、他の人が言葉に宿した記憶を想像し、機会があれば確認する、いや確認する機会を逃さない。そんな仕方で、読者となにかを共有するために品質を高めて行きたい。
言葉はただ流れるだけでなく、記憶を宿して流れている。私に解くことができる記憶はごくわずかなのだ。記憶を解くための鍵を詩を読むことで少しずつ増やしてゆきたい。
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