宮澤賢治 文語詩未定稿『雪峡』の鑑賞のために/Sabu
「怪異」、「轟音」、「暴力」、「タブー」といった連想を引きあいにして、「神楽」や「口碑」の遭難譚について解釈をすすめている点に、かなり無理があると感じます。
下書稿(三)の「口碑」は、単に遭難事故を記したのではなく、事故が起こった翌朝の情景と雪の中でみつかった児の顔に残された“表情”を記したものです。私は、それが痛ましい遭難であったからこそ、意外にも苦痛から解き放たれたようなその児の表情が、なお一層鮮やかに人々に記憶され、口碑として伝えられたのだと思います。既述のように、下書稿の「口碑」等に記された具体的な素材(賢治が見聞きし、記した体験)は、文語詩作品になってゆく過程で表面的には消えたよ
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