主体と他者 mixi日記より 2010年12月/前田ふむふむ
なければならなかった。
絶対者として批判あるいは反省するものがなければ、新しいものは、そもそも成り立たない。
何にもなければ、批判と反省があり得ないからである
だから、明治の敏感な為政者は気づいたのである。日本には、それがなかったことを、
日本にも近代国家としてありうべき、規範となる基底を必要としたのだ。
そして、そこに、神聖にして犯すべからざる天皇を据えたのだ。
しかし、その超越者は、親子の関係性で、すなわち親の分身としての子の関係で、
成り立たせており、二元論的な対立の他者としては置かれず、批判の対象としてはなりえないものとして考えられた。
だから、当時から
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