笛吹き少年の行くえ(2)/Giton
 
をも棄つる」といった言い方である。「これらの言葉は、賢治自身が自分の『作品創造』のそのような独特なあり方について、はじめから十分に意識的だったことを、あかしていると考えられる。」

「してみれば、それら『その時々の定稿』の最終のものだけを読んで、それで賢治を『読んだ』と言えるだろうか。」

「賢治の文学世界を『すべてにわたって読む』とは、幾重にも重なった『その時々の定稿』をすべて読むことであろう。」(注:入沢康夫:op.cit.,pp.159-160.)

このような特異な草稿観(すべての推敲中途形に、定稿ないし最終形と同等の価値がある──というような)、ないし新しい賢治作品観は、19
[次のページ]
[グループ]
戻る   Point(5)