「羅須地人協会」と満州開拓団との繋がりについて(ノート)/Giton
治の担当した講義は「農民芸術」で、主催者側からは関心を持たれていなかったのではないかと思います。たまたま、『岩手国民高等学校』の実施された場所が花巻農学校だったので、同校の教諭らも動員して講義させたというだけのことではないでしょうか。同じことは賢治の方の姿勢にも言えて、「農民芸術」の講義内容の前半は、時間稼ぎとしか思われない“芸術”と無関係な内容なのです。ただ、講義の後半で、賢治は独自の芸術論を説いたことから(前半の時間稼ぎをしながら準備・構想したものでしょう(注:マロリ・フロム『宮沢賢治の理想』,1984,晶文社))、その講義録等が、賢治研究者によって重要文献とされているにすぎません。
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