笛吹き少年の行くえ(1)/Giton
 
目指そうとした。これは、方向としては同時代のリルケ(注:『形象詩集』1902,1906; 『時祷詩集』1905; 『新詩集』1907)などにも見られるのですが、なぜ定型化によってなのか?
   これは、通常の日本の詩人・歌人とは逆なのですが(啄木短歌などは、定型であるがゆえに主情的・浪漫的)、宮沢賢治の場合には、初期の短歌時代からして非主情的な作風を特徴としていたのです(注:佐藤通雅『賢治短歌へ』,2007,洋々社,pp.12ff.)

 (4) 「重篤な病床体験を通じて感じた生きることの喜びが、存在するものなべてへのいとおしみを生み出したということが背景にあった」。「心情の表出という個人感
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