笛吹き少年の行くえ(1)/Giton
 
人感情への溺れを拒否し、説明という散文的要素を捨てた。」「現実の模写でなく、作品世界を構築しよう」とした。「その詩精神が〔…〕求めたのは、説明の排除、叙情の放棄だった。」(注:栗原敦・他編『小沢俊郎 宮沢賢治論集・3・文語詩研究・地理研究』1987,有精堂,pp,100,109,116-117.)

 (5) それでは、「説明の排除、叙情の放棄」によって、いったい、どんな“作品世界”が目指されたのか?
   文語詩における作者・宮沢賢治の目は、「この農家の生活、山村の労働と暮らしの深い実在感にまで」届く。それは、「若き日には必ずしも充分にくみと」れなかった人々の「生活の細部と重みとを」、読者の「目に見えるようにさせ」る視線であって、「人々の生存をそのようにあらしめている歴史、社会、自然にわたる諸関係の網目を」浮かび上がらせる視線だったのだ。(注:栗原敦『宮沢賢治 透明な軌道の上から』,p.407. )
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