湯豆腐と冷奴/salco
ラという魚は何故こうも臭いのだろうと好まなかったが、父は
タラやニシンなど北海の魚に目がなかった。棒ダラも新聞紙でくるんで玄
関の三和土に持ち出し、げんのうでガンガン叩きほぐしたのをよく酒肴に
していた。生まれ育ちは東京でも両親が東北出で、何でも濃い味だった。
八十過ぎまで生きた祖母の最期は癌だったが、祖父は冬場の便所で脳卒中、
父自身は春先に心筋梗塞で死んでいる。共に六十代早々で、そんな血管に
なるほど「濃い」のだった。
夏は冷奴にする。アルマイトの鍋と猪口まで中身は一緒で、タラと火が
入らない。
その頃豆腐は近所の豆腐屋で買うものだったのでおいしかったのだろう、
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