陽子のベクトルは太郎を指向するのか/草野大悟2
 
ねぇ。な〜んにも判かっちゃいないんだから、もう泣きたくなっちゃう」
「泣きたくなったら俺の胸で泣きな」
「あー、も、サイテー」
ほとんど口喧嘩状態のまま二人が大原美術館に着いたときには、時計はもう午後三時半を回っていた。
 入口の石段を上がった左手には、ロダンの「歩く人」がいて、右手を前方に差し出しながら今にも歩き出しそうに二人を出迎えたのだが、口喧嘩状態継続中の二人は、偉大なロダンの傑作をあっさり素通りし、「歩く人」の口をアングリ開けさせたのだった。
 「歩く人」がこれを契機に「考える人」になった、と後に太郎が吹聴して回ったのは、彼が心底そう信じていたからで、彼を責めてはいけない。
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