小説における文体の問題/yamadahifumi
どは批評が小説になっていると言ってもいい。夏目漱石はまず、自分の小説を書く前に、『文学論』を記した。
小説というものを人がこうまで安々と書くのは何故か、というと、それはもう小林秀雄が言っている事だが、要するにその世界全体に対する視点が最初から定まっているからである。今、小説家志望者の多くは文体を問題にしないし、問題にするにしても、頭で知的にこねくりまわすだけの問題となっている。小説において大切なのは、物の見方、その視点ではなく、キャラクターとか、世界観とか、プロットなどのありかただけである。つまりそこには自然主義的小説観が小説志望者の協同的無意識のように作用している。人は小説を書く。あ
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