サリンジャーとドストエフスキー   (現代小説と近代小説の断絶について)/yamadahifumi
 
りあえず、今の所はそうしておく。


 …二人の作品の劇は、このような構造を持っていた。二人の作品の主人公はそれぞれ、ニーチェの言う所の自由精神を抱いている。そしてそれが自意識と手を取り合っている。バルザック達にとって、劇、あるいは物語の構造とは、この社会における卑小な一個人における劇だった。その劇とはどのようなものだったか。それはいわば、マクロな社会という構造の中での、卑小な個人に目を向けたものだった。その劇の中で個人はもちろん、様々に考え、行動し、恋愛し、結婚したり、あるいは人を殺したり、犯罪をしたり、まあ色々な事をする。だが、それらはあくまで、卑小な個人にとどまる。では、ドストエフスキ
[次のページ]
戻る   Point(4)