サリンジャーとドストエフスキー (現代小説と近代小説の断絶について)/yamadahifumi
ら登場人物達はみんな、本当に望んでいるのとは逆な事をしてしまう。彼らは存在を置き去りにして、意識だけで走り出す。だがやがて、存在はこの意識に追いついて、様々な罰を下す。そしてこの意識と存在との差こそが、ドストエフスキーの物語の道程である。…ある点から、物語とはこのように全て、主人公、あるい登場人物達の内部、その頭脳と存在との中で行われるものへと移行した。そしてこの点が、彼が現代作家の始まり、あるいは真の意味でのポストモダンである所以だと思う。彼は小説というものを、全て登場人物の内部の中での劇とした。従って、ドストエフスキーの作品において登場人物達が反発したり同和したりする様は通常の物語とは全く違う
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