『演者』と『目』  〈社会を分割する二つの属性〉/yamadahifumi
 
基本的に区別がつかないからである。だが、製品の話は不得手なのでこれぐらいにして、芸術作品の話に移ろう。その方が僕は得意だ。

 芸術においても、事情は全く異ならない。そこでは、読者や視聴者とクリエイターの闘いが起こっている。僕はある点から、普通の「誰々が何した」式の、普通の小説というものが読めなくなった。何というか、体が拒否反応を起こすのだ。「誰々が何した」式で言うと、一番わかり易いのはフローベール辺りだろうか。あるいは世の中に氾濫している小説の大半はそうだったと言ってもいいだろう。僕がそれらの作品を読めないのは、それらが、「今からここにあるのはある種のお話であり、読者はこの中の人物に感情移入
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