『演者』と『目』 〈社会を分割する二つの属性〉/yamadahifumi
移入しなければならないぞ」と言明しているように見えるからである。井野裕氏という書き手に「じぶん。」という小説がある。この「じぶん。」という小説では、作者と読者が応答を交わし、なおかつそれがフィクションとして小説となっている、そのような構造が見られる。作者がこのように作者ーーー読者の関係だけを取り出して作品化し、その間の普通の「お話」を取り除いたのは、作者も僕と同じように、普通の物語だけでは足りないと思ったからではないだろうかと僕は考えている。もはや、普通の物語、普通の主人公が運動して何か物語を紡ぐ、通常の小説の形式だけでは僕達はなんとなく物足りないと思うようになってきている。そこで、井野氏のような
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