『演者』と『目』  〈社会を分割する二つの属性〉/yamadahifumi
 
くのが嫌いではない。

 フィクションの構造として考えるなら、初期の「めちゃイケ」はお笑いとして成立していたが、最近ではもう成立していないように見える。何故かというと、「めちゃイケ」そのもののスタンスは最初からそれほど変わっていないが、視聴者の目がどんどんと肥え、視聴者はもう番組の裏側まで平気で読むようになっているので、今では「めちゃイケ」という番組のスタンス自体が古いものになっている感がある。つまり番組そのものはそれほど変わっていなくても、視聴者が成熟するにしたがって番組はつまらなくなる。だが、それは視聴者の意識にとっては「最近はめちゃイケはつまらなくなった」ということになる。だが、番組制作
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