ルオー/soft_machine
 
け出された貌だけだ。フォービスムとも類される厚塗り、力強く対象を断言する筆致が、画面の調和をより単純に深化させ、なぜルオーは、これほどまでの激しさをぎりぎりのところで描くのか。ひとつ間違えば、とりかえしのつかなくなるような場所にその身を置いて、はじめ画布にすぎなかったものが、やがて星が爆発するようなかがやきを得るまで筆に力こめるのは何故か。何が彼にそれをさせるのか。
 技術的に完結するデッサンの範疇に、沸騰した情熱を持ちこめば、ほとんどの場合、画家の手にあまる。しかしそれこそが、ルオーの絵が持つ、見る者を食い入らせる力だ。では、何が彼にそれをさせるのか。
 デッサンとは三次元を二次元化する過程
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