ルオー/soft_machine
 
云う、頭におおきな傷痕がある、木彫りのキリストの周りをぐるぐる歩いた。そしていちいち足をとめた。あるところで体を傾けて見ると、ほんのわずかな角度の違いが、困惑のまなざしを確信するものに変えた。別の角度では雄弁を沈黙に、また別の場所だと、束縛を解放に変えた。その佇まいは、数百年の時を経てなお、この木彫りに魂を吹き込んだ男の目と手、時の季節と人々の祈りを伝えた。すると私の頭はもうはっきりと冴え、これまでの疲れをすっかり忘れ、次々と作品に向かった。
 俗に「絵が見える」という語句がある。それは目を開けば物が見える、といった単簡な生理ではない。画家が一枚の絵に何を思い訴えるのかが、見る者が描きながら考え
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