可能性の地獄/yamadahifumi
 
れは楽だが、しかし、そうもいかない。僕らはクリスチヤーヌのように、誰かから『愛されたい』と欲する。そしてこの時、クリスチヤーヌが本当に自分自身を愛して欲しいと願う時、悲劇が起こる。クリスチヤーヌはもうただ男の性器にしがみつくしかない。そんなものはただのくだらない棒きれである。そしてそう知っていたとしても、それを止める事はできない。なぜなら、彼女は未だに誰かから愛されたいからーー少なくとも、愛されているという幻想を得たいからである。そしてそれは男も同じ事である。こうして村上春樹的問題は、もっと本質的かつ、あまり見たくもないような答えに僕達を連れて行く。


 僕は最初に『可能性の地獄』という概
[次のページ]
戻る   Point(4)