可能性の地獄/yamadahifumi
 
が得られるだろう?。誰にとっても、誰もが交換可能である。だが、人間が自分で自分を振り返った時、そこには一貫した自意識が流れている。自分という個体的存在というのは、純粋に時間的なものだ。三歳の僕と三十歳の僕と八十歳の僕との間には、連続した何かがある。そして、それこそが『僕』であろう。だが、それは他人から見ればそうではない。三歳の僕をかわいがっていた人間から見れば、三十歳の僕には何の意味もない。そして三十歳の僕を愛してくれた僕の恋人からすれば、八十歳の僕は単なる動くガラクタに過ぎない。これは悲しい事だが、しかし真実だ。だがしかし、僕が僕を見る時、僕はやはり僕である。八十歳であろうと、三十歳であろうと、
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