可能性の地獄/yamadahifumi
、何か偶然的な、一般的なものとして存在する事を余儀なくされている。まだ、『橋の下で拾ってきた子供』の方がはるかにマシだし、愛着も湧くだろう。別にそういう事が間違っているとかおかしいとか言うつもりは毛頭ないのだが、しかし、僕らが考えなければならないのはこの子供のアイデンティティはどうなるのだろうか?、という問題だ。もしこの母親が、選びに選び抜いて、あるいは金をかけて、ノーベル賞受賞者の精子で子供を作り、そしてその子供に一身の期待をかけたらどうなるだろう?。僕がもしこの子供だとしたら、自分が何故生まれてきたのか、自分の存在が何なのか、という問いに直面せざるを得ないだろう。親は、自分に、一人の一般的存在
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