可能性の地獄/yamadahifumi
 
だが、しかしそうする事によって何かが浪費されている事に代わりはない。どちらがいいという事もないのだ。僕達にとって、一番厄介な問題は、あらゆる可能性が僕達に明示されているがゆえに、僕達自身がその可能性の中に埋もれてしまうという事だ。いくらでも、他人は代えが効く。だが、自分は代えが効かない。だがしかし、その自分とはいつも、世界のの中にあっては他人である。君の恋人にとって君は交換可能、君の友人、君の会社にとっても君は交換可能。だが、君にとって君は交換不可能。これは厄介な問題だ。そして僕はこういう現代の状況を『可能性の地獄』という名で呼んでいる。これでとりあえずはこの概念については少しは説明できたように思
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