可能性の地獄/yamadahifumi
うして、行動は、その行動の可能性、いや、その行動の形而上的意味付けそのものによって無価値になっていく。そして答えはわからなくなり、残るったのは無為に費やされた自分という年月の積み重なりだけである。
そして一方の非リア充派は、先ほどのスーパーの例で言うなら、目の前に山ほど積まれているカレー粉を見て、「何かめんどくさそうだし、今日はパスタにしとこう」と決断するタイプとでも言えばいいだろうか。この人間は、可能性があまりに無限に開かれている事に対してうんざりして、そこから逃げ出す。そして、どの可能性をも消費する事がない。従って自分を、あの「リア充」達のように、せかせかと動かさなくても済むのだが
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