可能性の地獄/yamadahifumi
 
いうのも、あくまでも遠くから見たら輝いている存在であり、近くに行けば、彼らも凡人と同じ事をしているのだ。だから、僕達は幻滅する。だが、僕達の幻滅を救ってくれそうなものは一つだけあり、それはメディアが僕達に提供する様々な像である。俳優、タレント、芸人、アニメ、声優、その他。様々な像があり、それは正に僕達の可能性の具現化であるようにも見える。画面の中の人々はいつもキラキラと輝いているように見える。だが、それはただそう見えるだけである。結局の所、全ては同じ事だ。


 リア充のように、誰かと出会い、あるいは別れる事は、非リア充には無駄な、可能性の消費として見える。つまる所、僕がA子と付き合ったとし
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