可能性の地獄/yamadahifumi
ラジオ、インターネットなどによって常に他人のようなものと触れている事を好む。そうやってその人間は、常に他者の中に身を置いているとも言える。そして更に大切な事はこの非リア充というのは、永遠に可能性を延期した存在だという事だ。この事を次に説明しよう。
僕達が誰かと出会い、その人間と付き合い、その人間と友達になるというのは一種の可能性の消費であると考える。人は若年期には誰もが夢を見る。夢とは可能性の別名である。人は可能性を想起し、憧れる。『自分はどんな素敵な人と出会えるだろうか?』。だが、現実に出会う人間は常に小心翼翼たる凡人である。人間というのは言ってみれば、全て凡人であるし、天才という
[次のページ]
戻る 編 削 Point(4)