可能性の地獄/yamadahifumi
 
は今、愛されているのだ、と。自分はリア充なのだ、と。だが、この女性読者は、村上春樹が記しておいたもう一つの大きな問題を見逃している。主人公『僕』は女性を愛するが、決してあなた自身を愛しはしない。だからこそ、村上春樹の作品には、あのように優しく丁寧で、なおかつ優雅、甘美でありながらも、その後ろにはどこか退廃的で空虚な空間が流れているのだ。そしてこの二重性が村上春樹の本質であり、そしてこの本質こそが、僕達の本質でもある。では、問題をもう少し先に進めよう。


 可能性の地獄、と僕が呼ぶ概念も、村上春樹が描いたそういう事に対応している。そして、これは恋愛だけにとどまらない。だが、今はもう少しとどま
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