可能性の地獄/yamadahifumi
 
、『その人』を愛する事はできない。その人間の個別性を愛する事はできないが、普遍的な女性の一人としては、レディーファースト的に、西欧流に優しく丁寧に扱う事ができる。見識の低い女性読者であれば、この村上春樹の描写に陶然となるかもしれないが、もしここで陶然となるだけなら、それは問題の本質を見逃している事になる。ここで大切なのは、村上春樹の主人公『僕』ができるのは、『女性一般』に優しくする事であって、『目の前の人間』を愛する事ではない。だが、あるレベルの女性読者ーーあるいはそのような女性からすれば、この「自分」を女性一般とイコールして考えてしまう。つまり、ここでこの女性読者は、自分自身に夢を見る。自分は今
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