可能性の地獄/yamadahifumi
『僕』は今流に言うと、リア充の最たるものである。そして、このリア充は目の前の女性を、女性の中の一人として、優しく丁寧に愛する事はできる。村上春樹の作品が女性に受けるのには、そういう事が大きな理由になっているだろう。だが、更に大切なのは、この『僕』が愛するのは、別にその『目の前の』女性でなくてもいいのだ。つまり、この女性には、既に『代わり』がいる事が最初から、『僕』の中でも想定ーーーあるいは少なくとも、そのように感じられている。目の前の女性は、他の女性に将来、あるいは過去に渡って、代わってきたし、代わる事が可能だろう。つまり、この村上春樹の小説の主人公は、『誰か』を愛する事はできるのだが、しかし、『
[次のページ]
戻る 編 削 Point(4)