人間の本質を露呈させるものとしての文学/yamadahifumi
 
家はその作品にあんなにも生命を込めて、それを描き出そうとする。なぜなら、それはその肉体そのものが内面と一致しているからである。これは芸術というものにとっては当然の事だが、読者から見れば、どのようにも軽く見る事ができる。そこで、色々な齟齬が起こる。それは例えば、『作品の解釈』などである。作品の解釈をするのは勝手だが、もし作者がそのように隠された意味を伝えたかったのなら、何故、それを最初から芸術として表現しなかったのか?という問題が残る。作品の背後に何か隠れたものを見ようとするのは、利口ぶった愚か者のする事だと僕は思っている。真の批評家は作品の肉体から、本質へとたどって昇っていく。しかし、それは隠され
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