人間の本質を露呈させるものとしての文学/yamadahifumi
の「悲しい」という自分の感情と、「悲しい」という言葉の意味とが必ずしも合致しないという事に芸術の難しさ、ないしは詩の存在理由があると言って良い。これはわかりにくいので、もう少し説明しよう。
僕が言おうとしているのは、つまり簡単な事である。例えば、「私は悲しい」と僕のノートに書きつけたとする。だが、それは僕の「悲しい」という心を『表現』してはいない。それは単に事実を伝えただけで、それは僕の悲しみを『表現』してはいない。そして、この『表現』というものが芸術の生命である。トルストイが、「あなたはアンナ・カレーニナで何を伝えたかったのですか?」と聞かれて、トルストイがそれに答えて、「それを言
[次のページ]
戻る 編 削 Point(2)