混迷錯雑した小説論/yamadahifumi
 
に確信を抱いたのは四十過ぎてから。だが、彼らもそれまで別に遊んでいたわけではない。特に、ドストエフスキーなどはそのキャリアの初期より、明らかに晩期の方が読んでいて面白いと感じるだろう。だが彼は僕らを面白がらせる為に、四十年間地獄のような体験を積んだわけではないのだ。次にその事を考えてみよう。


 小説というものは普通には、登場人物が現れ、そして会話したり、行動したりする。「小説家になろう!」というサイトで人気のある小説を見ると、そこでは登場人物は極限まで単純化されている。そしてその言動も一元的であり、難解な部分は特にない。あの手の作品をどういう人が読んでいるのかはよく分からないが、多分、中
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