混迷錯雑した小説論/yamadahifumi
な作品も、こちらの脳髄一つで書けるような気がする。それは実際、そうかもしれない。今は皆、『小説の書き方』を知ってしまっている。だが、僕達がまず、生み出さなければならないのは、上記のように、世界に意味を与える為の一つの自意識ではないのか。僕は今、そういう風に考えている。もちろん、このやり方は絶対的な方法論ではないだろう。だが、例えば村上春樹の作品に意味があるのは、主人公の「僕」の現実に対する否定的意識のおかげなのではないか。そして、このような主人公の自己意識を作者が生み出すという行為は、小説というものを手先だけでこねくり回すだけの、そのような動作で生まれるのではない。この時、作者は現実の中に揉まれ、
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