混迷錯雑した小説論/yamadahifumi
 
コーリニコフの自意識をくぐって始めて意味があるのと同様に、ソーニャという人物もまた、ラスコーリニコフの自意識をくぐって始めて意味あるものであるという事だ。だが、問題はもっと広く展開される。つまり、「罪と罰」の中の世界そのものが、主人公ラスコーリニコフの自意識をくぐって始めて意味があるのだ、という風に。だから、これは全く新しい物語であり、前代未聞の文学作品であると共に、新しい、現代的な社会に適合した一つの特異な小説の描写方法なのだ。


 この方法に普遍性があるかどうかは他の作品を見てみればいい。例えば、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」。サリンジャーがドストエフスキーから直接影響を受けた
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