混迷錯雑した小説論/yamadahifumi
目の前の料理とか、そういう具体的なものが消えてしまう。そして、例えそういう具体的なものが捉えられるにしても、それはラスコーリニコフの自己意識を一度かいくぐったものとして僕達に明示されるのだ。だから、全てはラスコーリニコフという人間の自己意識の中をくぐって展開される。「罪と罰」のヒロインでソーニャという女性がいるが、この女性の存在というのは、実は『ラスコーリニコフの創作』である、と小林秀雄がうまい事言っている。つまり、ソーニャという人物は本来、そのような人物ではないのだが、ラスコーリニコフの存在が彼女を、あの作品の中の「ソーニャ」という人物へと変えてしまう。つまりこの場合、レストランの食事がラスコー
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