混迷錯雑した小説論/yamadahifumi
会に適応した描写を発明したのがドストエフスキーだった。(プルーストやジョイスも部分的にそう。)
ドストエフスキーにおいては、彼の描く人間はそれまでの人物とは全く異なっている。例えば、「罪と罰」のラスコーリニコフがレストランに入って食事する場面を描くとしよう。だが、この時、ラスコーリニコフはすぐに、自分自身との問答を始めてしまう。そして、例えば作者は、ラスコーリニコフがレストランに入り、食事を頼む所までは通常に描くかもしれないが、すぐにラスコーリニコフ自身の自己意識、その肥大した意識の中での自分との応答が大きくなり、そしてそれによって通常の描写ーーーつまり、レストランとかウエイターと目の
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