ビー玉沿線/角田寿星
に触発されたものに他なら
ない。
*
わが国最初の本格的なビー玉沿線の登場は明治後期である。線路の形態
は発足当時より美しいU字形をえがく最終型であり現代のそれとほとん
ど変りない。これまで個人的かつ近郷近在だけのものであったビー玉の
やり取りは華やかな国有事業として生れ変わった。わが国はじめてのビ
ー玉運搬の速度は東京新橋間を約20分であったという。
『ビー玉沿線』ということばが遣われはじめたのはそれからまもなくで
ある。わが国を駆け巡るビー玉に人々は群がり寄った。昇り坂での停滞
は急務であった。すてえしょんを中心に建設される屋台に見張り台に灯
台に高築台。当
[次のページ]
戻る 編 削 Point(7)