【HHM2参加作品】舌平目のムルソー(suigyo)を散瞳する/澤あづさ
ら観察する何組もの私と友人、】(1章)
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詩を語る【私】は「片眼」、ひいては「偏見」だ。
その視野は「自我の投影」で埋まり狭窄している。
その眼底が、「眼中にないのに網膜に焼きついている他者の視線」で埋まっているからだ。
【瞳】という字は「童の目」と書くが、この詩の偏見は、幼児どころか胎児まで退行している。
あらゆるヒトは胎児のころ、頭部に「鰓弓」と呼ばれる器官を持っていた。一説には鰓の名残と言われるその器官は、咽頭や中耳や表情筋など、会話のための器官に分化するが、語り手の息は声へ分化しない。
この詩の「思」はあた
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