現代詩の彷徨/ハァモニィベル
 
、元来、詩とは文学の中心に、文学の核心にあるべきものなのではないのか。(『現代詩はいっそラテン語で書け』2章,第7節,284P)

 勿論著者たちは、言語障害自体を差別などしていない。それどころか、むしろ辿々しい表現が思いの強さを伴って、その困難と闘う姿・行為そのものが感動させうることも否定しない。だが、それを積極的に好んで行うギルドチックな魚眼の営みを、たとえ、「浮遊するシニフィアンによる世界の編み変え」などという美名の元に置いたとてそれは、精神療法上の作業結果が、偶然生みだした名作をシニフィエとするにすぎない。さらに、そんな理屈の蛇口を捻れば、ただの暗号文だって立派な詩としてお勝手に流れ
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