現代詩の彷徨/ハァモニィベル
 
害』、D・マカッシエ『現代詩はいっそラテン語で書け』。

 この二つの名著が出版された時、両著に共通に示された一つの認識が、騒然と物議をかもしたのは、次の点であった。曰く、
 そもそも、詩は文学であろう。文学とは言葉の美術であることを否定できない。ならば、言語美術が言語障害であること自体が既に、現代詩を文学にしない。(『現代詩という言語障害』4章,346P)
 それは、哲学ではありうる余地を遺してはいても、読者が読んで首をひねるものが何で文学なんであろうか。前衛芸術という特別切符をもらって、文学の片隅にかろうじて小さな席を許される、そんな状況を現実に示してはいないだろうか。しかし、元
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