【HHM2参加作品】絶対的矛盾としての馬野幹について/大覚アキラ
 
ても、決してabsolutelyではない。
 究極は、「書いてしまったものが詩だった」というぐらい無自覚な地平の上に唐突に成立してしまう、どこかしら犯罪的な匂いさえ感じる行為。それが詩を書くということだと、ぼくは思っている。

 詩を書いてしまう人間には、大別して二種類いると思っている。
 何かが極端に過剰な人間と、何かが極端に欠落している人間だ。

 前者は、身体に纏った分厚い脂肪を鉋で削り取るように、あるいは、胃に収まり切らなかった吐瀉物を永遠に吐きだし続けるように、そうやって言葉を解き放ち続けている。
 後者は、地球の真ん中まで開いている大穴にカレースプーンで土を投げ込むように
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