時里二郎詩集『ジパング』について/葉leaf
動かぬ的の鹿が、呼吸を乱すこともなく庭の草を食んでいるのを唖然として見ていた。彼らが声を上げる機を制せられていたわずかの時をうずめるために、李童は静かに弓弦を断ち、その同じ短剣でもって、おのが腕の筋を切ったという。
(「マカール、或いは旅する山羊」)
さて、ここでは李童が自らの腕の筋を切るという残酷な描写がある。これもまた現実に目の前で目撃したらとても目を当てられない悲惨な状況である。ところが虚構の中で描かれると、不思議とその残酷さも快いものに変わってしまうのである。それは他人の不幸を喜ぶといったたぐいのものではない。むしろ、時里の叙述の美しさであるとか、その叙述の美しさを
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