時里二郎詩集『ジパング』について/葉leaf
さを読む楽しみであるとか、そういうものによって残酷さが中和されているとは言えないだろうか。さらには、李童の潔さに対する道徳的な賞賛の念。もちろん虚構であるから残酷さが弱められているというのもある。
残酷さは単純に残酷なのではない。残酷さが虚構の中で与えられるとき、その虚構が精密に織りなされていればいるほど、その精密さに対する読者の感嘆の念は強まる。読者の中には残酷さによる不快と精密さに対する感嘆が同居する。さらには、筋を工夫することで残酷さを和らげることができる。時里はここで、弓の名人である李童が失敗の償いをするために自らの弓人としての生命を絶った、という道徳的な潔さをプロットによって生み出す
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