掌編「悪夢」/イナエ
真実味をおびて思い出され、急いで漕ぎ下った。今思えば、大人たちから離れて、一人遊びする子どもに、危険を知らせる天の眼であったようだ。
そのころ、村の中では、どこかに大人の眼があった。農閑期といわれる時機でも、田の草を取っている人や、麦踏みをする人たちがいた。子どもたちは群れて過ごすことが多く、一人でいる時間は少なかったのである。
長い、都会生活のあと、再び村に戻ったときぼくの見たものは、舗装された農道に仕切られ、行儀良く並んだ四角い稲田だった。遠くの集落まで、見渡しても、人影はなかった。ところどころに赤い帽子の給水バルブが立っていた。農民の悲劇を語る水争いなど昔のことで、今では、ど
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