詩人像の転換/葉leaf
 
に認めること。否定というよりは、対象と相互に浸透していくということ。この相互浸透において、矛盾しあいながらも複雑な混成体を対象と織りなしていくことにより、私は「詩人」でなくなってしまった。
 これは私にとって一大事件であった。なぜなら、詩人というものは私の同一性をなしており、自ら詩人を名乗ることはなくても、理想的な詩人像と合致していることが私のひそかな矜持であったからだ。その矜持が瓦解する中、私はその瓦解を人生の一大事件として、「詩」の形式で書きたいと強く思うようになった。
 さて、ここで私は自らの詩を書く動機が全く変わってしまったことに気付いた。かつて、私は、身体的な叫びのようなもの、痛みの
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