詩人像の転換/葉leaf
 
みの表出のようなものとして詩を書いていた。詩を書く動機は憎しみや外傷であった。だがいまや、私が詩を書く動機は、自分の人生にとって重要なことを詩の形式で繊細にとらえなおしたい、そのことによって人生との相互侵入をより深めていきたい、そういうものにとって代わっていた。現実や他者や社会はもはや否定すべきものでもなく、互いに既に混じり合ってしまったものとして、その混じり合いをより高めるために、私は詩を書いていこうとしているのであった。
 そうすると、今や私は詩人像の転換に直面していることに気付いた。詩人とは否定性の権化ではない。それは、詩という形式を用いて世界のあらゆるものとの相互浸透をより深め、より高め、自己と世界の在り方を限りなく追及していく人間である。そうすると、今の私は立派に詩人であった。かくして、私は詩人像を転換することにより、詩人の死を回避し、新しい意味での詩人として自己を把握できるようになった。


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